この物語の冒頭は主人公である女の痛ましい最後の姿を伝える記事から始まる。私たちは現実の世界でも毎日のようにメディアによって伝えられる殺人事件を見聞きしているため、完全に事件慣れしているので簡単には驚かなくなっているのだが、飼っていた猫に喰われ、白骨化したこの死体はさすがにショッキングなものとして想像してしまう。現実に日々事件が起こり、フィクションでミステリー好きであろうものなら、現実と空想の間で常に事件が起こり、、感覚が麻痺してくる。リアルな事件は、いつも起こっている事件のほんのひとつにすぎないと感じ、物語では当事者になりきるため、事件が残虐であればあるほど、話にのめり込み、さらにもっと先を進むにつれて過激度が増すことを望んでしまう。
この死体である主人公・鈴木陽子が悲惨な死に方を遂げるまでの彼女の人生が語られていく。事件ノンフィクションの感覚で読み進める。ところが彼女の生い立ち、育ち、暮らしがわかっていくうちに、彼女の人生が決して不幸の塊だったわけでないことに気づく。逆に成功もしている時期もある。彼女はどこで歯車が狂ったのか、あるいはどの選択を間違ったのか。転落でも、堕落でも、決して運がなかったわけでなく、不美人でも、ハンディがあったわけでもない。読む者にとって鈴木陽子が遠い存在ではなく、むしろ自分に近いかもしれない普通の女であり、それはやがて彼女の苦しみを共有していくようになる。
彼女の周りにいた人は、人のようでいて人ではなかった。出会った人が普通の顔をして、人の幸せを喰う悪魔だった。幾多の困難をどんなに孤独でも、苦しくても乗り越えてきた彼女の強さが、反って、彼らに力を与えた。あの時、「やめて」と絶叫していれば、きっと救われていたかもしれない。
彼女の絶叫と私の絶叫がいつしか誰にも届かない絶望へと変わったとき、心が裂かれるように震えだす。ふと我に返ってこの事件が空想であってよかったと安堵する一方で、実際に起きた事件だったのかもしれないと苦悶した。今年の収穫となった1冊。
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