朝日新聞の連載から注目していた桐野夏生の新刊「メタボラ」が単行本になりました。「魂萌え」(毎日新聞社)以来2年ぶりの長編小説で、約600ページというボリームは読み応え十分。ハイビスカスの花の装丁が強烈に南国のイメージを想起させます。 タイトルの「メタボラ」は昨年あたりからよく耳にするようになったメタボリック症候群でもお馴染みのメタボリズムからの造語で、そもそもは生物学用語で新陳代謝の意味。
桐野夏生作品は、毎回、社会問題や事件を作品に盛り込む特徴がありますが、新刊では、ニートや請負労働者など下流社会を漂流する若者が自分探しの果てで、メタボラ(新陳代謝)していく物語になっています。
この小説は冒頭からいきなり惹きつけられました。「必死に逃げていた。ひたすら走って、この場を去ってしまいたいが、僕は今、深い森の中にいて逃げることはおろか、走ることさえできないのだった。しかも漆黒の闇だ。・・・悪夢だったら早く覚めてくれ」
記憶をなくした青年がいきなり暗闇の森をさまよう場面から始まります。気がつくと自分の存在が誰なのか、一体どこなのか何もわからなりません。この書き出し部分がそのあとに続く物語の主題でもあり、現代の若者が道に迷って途方にくれているさまを見事に映し出していると思います。
その森の中で、青年は学校を中退し、現実の生活から逃げ回るジェイクこと伊良部昭光に出会います。記憶喪失の青年と現実逃避する昭光という2人の若者を軸に、物語は暗く重い衝撃の展開に向かっていきます。
彼らははじめ職もお金もないため、ひたすら他人に寄生します。コンビ二でバイトしていた女の家だったり、ボランティアで働いたり。やがて記憶喪失の青年は職を見つけ、いろんな人と出会い、徐々に過去の記憶を取り戻していきます。一方、昭光は育ちが裕福ですが、何をやっても、常に問題を起こし長く続きしません。記憶の再生を求めて、手探りしながら生きる青年と徐々に堕落する昭光の運命が複雑に交わり、やがて、それぞれ自分探しの旅に出ることになります。
とにかく読んでいて、何度も苦しくなりました。青年の過去の記憶が非常に暗過ぎますし、記憶を取り戻すことで心の闇がどんどん深くなっていきます。破壊的で、退廃的な昭光の生き難さは、負の感情に支配され、引き裂かれる思いがしました。各地を転々としながら、自分の居場所を求める2人の若者。運命の悲惨さゆえ、若さゆえに犯す過ち。パッピーエンド小説が増えるなかで、若者の苦悩する姿を真正面から捉えた今年ベスト級の傑作だと思います。

メタボラ上下 朝日文庫