春の訪れは、冬の長い雪国にはとかく待ち遠しい。暖かさに向かう四季の移り変わりは、青空のような明るさをもって私たちを解放してくれる。ただ、コロナによって、春への高揚感は、いつもと違う。コロナは繰り返す波のごとく、収まっては、また拡大し、長期化するなかで、私たちの生活や感情は、どうにも落ち着かなくなっている。心は蝕まれているようにさえ感じる。
このコロナ禍での違和感や閉塞感、不自由さは、川上末映子の最新刊「春のこわいもの」にも存在する。コロナに感染したのか、隔離病棟と思われる場所で思いめぐらせる女や、仲良くなった男女の生徒への学校生活に訪れる突然の休校など、コロナ禍を想起させる場面が何度も出てくる。コロナに慣れていくことで取り戻しつつある、日常の幸せを、他人と長く会話することすら、普段に増して喜びの感情となる。ただ、ふと現実に戻るとき、不安や喪失感、やり場のない感情などはより激しく蠢くようにも思える。ここに登場する男女6人は、まるでSNSでつぶやいているかのようなスピードで感情を吐露するところが印象に残る。
本書をコロナ文学と括れることは容易にはできないが、ここにあるのは、コロナ禍で必死に、もがきながら生きる私たちである。そして、登場する彼らの感情にいくつかの共感を見出すことができる救済の文学といえるかもしれない。
